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三吉 慎蔵(みよし しんぞう、天保2年(1831年)10月11日?明治34年(1901年)2月16日) 長府藩士。天保2年、長府藩の今枝流剣術師範小坂土佐九郎の次男として生まれる。同8年、田辺惣左衛門の養子となり、藩校敬業館に入学。同10年、諸武芸師範に入門。嘉永2年、長州藩校明倫館に入学。宝蔵院流槍術に長じ、安政2年には長州藩師範小幡源右衛門より免許皆伝を受ける。同4年、長府藩士三吉十蔵の養子となり、藩主毛利元周の近習扈従役として江戸に随従している。文久3年、下関の外国船砲撃事件により大砲鋳造掛締方・精兵隊諸事肝煎に就任。慶応2年、長府藩士印藤肇の仲介で坂本龍馬の知遇を得る。

『三好重臣』より : 三好 重臣(みよし しげおみ、天保11年(1840年) ? 明治33年(1900年))は、長州藩の藩士。通称は軍太郎。別名は会田春輔。長州藩士の雇っていた家来の子として生まれた。1863年、奇兵隊に入隊してアメリカ船などの砲撃に参加した。1868年の戊辰戦争では越後方面に進出して武功を挙げている。明治維新後は新政府のもとで陸軍大佐、鎮台 東北鎮台司令長官となった。1877年の西南戦争では、第二旅団長として出陣したが、敵に敗れて負傷している。その後も陸軍中将、第1師団_(日本軍) 第一師団長、枢密顧問官などを歴任した。1900年、61歳で死去。1884年7月7日に子爵に叙せられる。 幕末維新側人物 みよししけおみ

山岡 鉄舟(やまおか てっしゅう、山岡 鐵舟、子爵、天保7年6月10日 (旧暦) 6月10日(1836年7月23日) - 明治21年(1888年)7月19日)は、幕末の徳川幕府 幕府家臣、明治時代の政治家。鉄舟は号、他に一楽斎。通称鉄太郎(鐵太郎)。諱は高歩(たかゆき)。千葉周作門下の剣客で、江戸幕府剣術世話役。勝海舟、高橋泥舟とともに「幕末の三舟」と称される。天保7年(1836年)6月10日、江戸本所に御蔵奉行小野朝右衛門高福の四男として生まれる。母は塚原磯女。飛騨郡代となった父に従い、幼少時を飛騨高山で過ごす。書家で弘法大師流入木道(じゅぼくどう)五十一世の岩佐一亭に学び、15の歳に五十二世を受け継ぎ、一楽斎と号す。父の死に伴い、江戸へ出る。安政2年(1855年)講武所に入り、千葉周作について北辰一刀流の剣術を学ぶ。また同時期、山岡静山に槍術を学ぶ。静山急死のあと、静山の実弟・謙三郎(高橋泥舟)らに望まれて山岡家の養子となり、静山の妹英子(ふさこ)と結婚。身長六尺二寸(188センチ)、体重二十八貫(105キロ)と当時としては並外れた体格であった。

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